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学問論争をめぐる現状況

――全国の研究者、読書家、学生/院生のみなさんへ


折原浩

(200427)

 

 

本稿は元来、神戸大学社会学研究会編『社会学雑誌』第20号(2003年)に掲載された拙論「マックス・ヴェーバーにおける社会学の生成――T. 190307年期の学問構想と方法」の続篇を、同誌21に寄稿するとお約束していながら、ある事情で執筆できなくなり、そのお詫びと釈明を兼ねて、『社会学雑誌』編集者宛ての手紙として執筆されました。「ある事情」とは、羽入辰郎著『マックス・ヴェーバーの犯罪――「倫理」論文における資料操作の詐術と「知的誠実性」の崩壊』(2002年、ミネルヴァ書房、以下羽入書)が公刊され、その論駁にかかわらざるをえなくなったことです。       

この件はその後、昨(2003)年11月、羽入書が「山本七平賞」を受賞し、筆者の論駁(拙著『ヴェーバー学のすすめ』、未來社、以下拙著、第二章)も公表されて以来、広く「言論の公共空間」で注目されるようになり、この橋本努氏のホーム・ぺージにも、「マックス・ヴェーバー/羽入-折原論争の展開」と題するコーナーが開設されました。そこで、この件にかかわる筆者側の覚書と所見も、あるいは全国の研究者、読書家、学生/院生のみなさんの関心を惹き、研学のご参考にもなろうかと思い、「学問論争をめぐる現状況」と題してこのコーナーに掲載していただくことにしました。『社会学雑誌』読者のみなさんにも、このコーナーへのアクセスをお願いしています。

 

§1. 羽入書の特異性――「生産的限定論争」の提唱ではなく、ヴェーバー研究者への「自殺要求」

『社会学雑誌』への寄稿にかんする筆者の計画では、一昨(2002)年末に上記拙論「マックス・ヴェーバーにおける社会学の生成――T.」を脱稿したあと、ただちに続篇の執筆にかかり、遅くとも昨年夏までには仕上げて、年来の懸案「ヴェーバー『経済と社会』全体の再構成」に戻るつもりでいました。ところが、その間に、羽入書が公刊され、「言論の公共空間」に登場してきたのです。しかも羽入書は、表題からも、内容からも、「拙論には関係がない」といって避けて通るわけにはいかない本でした。

というのも、羽入書は、「ヴェーバー研究者としてともに生きながら特定の争点に限定して、双方の見解を対置し、『(なんらかの、たとえば歴史的)妥当性』を規準として学問的生産性を競い合い、そうしたやりとりをとおしてなにか実りある成果を生みだそう」という、いわば「生産的限定論争」を提起しているのではありません。もしそうした論争の提唱であれば、「いまちょっと忙しい」、「いま別の研究テーマを抱えているから」といって、対決ないし態度表明を留保し、後日論争に加わる、というのでもいいでしょう。ところが、羽入書は(その主張を真に受けるならば)、ヴェーバーの学問的業績の特定内容に限定して「妥当性」を問おうとするのではなく、そうしたことにはいっさい関心がないと宣言し、もっぱら人間ヴェーバーの知的誠実性を疑い、「ヴェーバーは詐欺師である」との全称判断をくだして、かれの「人と作品」をまるごと葬ろうとしているのです。かりに羽入書の主張が百パーセント正しいとしますと、ヴェーバー研究者は、「詐欺」の片棒を担ぎ、ヴェーバーの「欺瞞」を世に広めて害毒を流してきた「共犯者」あるいは「犯罪幇助者」ということにならざるをえません。

この意味で羽入書は、いうなれば、ヴェーバー研究者にたいする「自殺要求」です。ですから受け手が、羽入書のこの激越な要求にたじろいで、ストレートに受け止めきれず、「ヴェーバーが詐欺師であったかどうかはともかく」と留保して肝心要のポイントを外し、「生産的限定論争」にすり替えて、羽入の主張をたとえば「歴史的妥当性」その他、別のアリーナに移し替えて限定的に評価するとすれば、それはいわば「お人好しののんきな自己欺瞞」であり、事柄に即してみれば「本末転倒」というほかはありません。「自殺要求」にたいしては「喰うか食われるかの死闘」を闘い(念のために書き添えれば、もとより文字通り「殺し合い」をするというのではありません)、論戦に破れて討ち死にするか、あるいは、こちらが生き延びて、「犯罪加担者」との「濡れ衣を晴らし」、ふたたび晴朗に、ヴェーバー研究論考を(たとえば『社会学雑誌』をとおして)「言論の公共空間」に発表したり、数々の「生産的限定論争」を企画したりすることができるように、その基本的な要件を回復するか、どちらかしかないのです。そうすることが、羽入書の主張を真に受けて正面対決するフェア・プレーであり、著者としての羽入個人にたいする最大の敬意でもありましょう。

とすると、そうした羽入書はなるほど、ヴェーバー研究者にとっては「生き死に」にかかわる問題かもしれないけれども、それだけにもっぱらヴェーバー研究者にかかわるだけではないのか、との疑問が生ずるにちがいありません。しかしじつは、そうとは思えないのです。羽入流のやり方で、ある一領域の研究者が「自殺」に追い込まれるとすれば、ことはその領域かぎりではすまされず、いついかなる領域でも、同じように研究者の(研究者としての)生命が脅かされ、学問研究の息の根が止められかねません。この論点は、追って§7で敷衍します。

 

§2. 軽佻浮薄なシニシズムを排す

むしろ「羽入本人は、軽い気持ちで『犯罪』や『詐欺』にたとえているだけなのに、それを『真に受ける』ほうが大人げない」とせせら笑う向きもあろうかと思います。しかし、故人とはいえ、他人を気楽に(「死人に口なし」とばかり)「詐欺師」とか「犯罪者」とか決めつけていいものでしょうか。「比喩」としても程があります。こういう耳目聳動を目論む「言いたい放題」を、「見て見ぬふり」をして「放っておく」と、いつしかそういう流儀に感覚的に馴らされ、粗野でいい加減な言表や思考が世にはびこることになりかねません。いつかこういう話をきいたことがあります。すなわち、「ホロコースト」はなかった、という言辞が、初めは憤然と抗議され、批判されても、性懲りなく繰り返されているうちに、「ああまたか」と受け流されるようになり、そのうち「ああまで『批判に耐えて』繰り返されているからには、ひょっとして『泥棒にも三分の理』があるのではないか」ということになってきて、やがて、事情に疎い後続世代には「五分五分の主張」と映る。それが怖い。だから、条理にかなった批判を、こちらも性懲りなく繰り返すほかはない、というのです。これには、「なるほど。なんでも『水に流して』、『元の木阿弥』というのとは違うな。粘り強く批判を繰り返して『歴史の偽造を許さない』リアリズムだな」と感心したものでした。

およそ学問には、ですから学者には、現代大衆社会の軽佻浮薄な「風潮に抗してgegen den Strom」、いつどこにでも原則的/原則論的な思考を持ち込む「対抗力Gegengewicht」の拠点を、みずからの言動と後継者の育成をとおして確保していく責任があると思います。ちなみに、それがマックス・ヴェーバーの「生き方Lebensführung」でした。まさにそれゆえ、この現代大衆社会で、ヴェーバーを研究し、学生/院生に「教える」――その自己形成を介助する――ことに意味がある、と思うのです。

 

§3.「(研究)仲間内」と「言論の公共空間」

なるほど、「ヴェーバー研究者」の仲間内あるいはサークル内では、@「羽入書のようなのは『ヴェーバー研究』ではない」「少なくともまっとうな『ヴェーバー研究』ではない」といって無視していても、さしあたり支障はないでしょう。A「反論に値しない」として「自然の淘汰」「時間の淘汰」に委ねておけば、さざ波さえ立たないかもしれません。さらには、B「(後輩の)羽入が近刊の著書を贈るといっていたのに、送って寄越さないから、『買わざる、読まざる、論じざる』だ」と「三猿」を決め込んでいても、「若いのに『お山の大将』になってしまって」と笑ってすますことができましょう。

ただし、(Bは論外として)@とAには、ヴェーバー研究者としてそれでよいのか、という原則問題が提起されます。Aについては、別のところ(「学者の品位と責任――『歴史における個人の役割』再考」、『未来』、2004年1月号所収、本コーナーに転載)で、ヴェーバーの「淘汰説」批判と「責任倫理」論との接点の問題として論じましたので、そちらを参照していただければ幸いです。ここでは@をとり上げますと、周知のとおりヴェーバーは、「法の妥当性一般を否認する無政府主義者を、大学の法学部に受け入れてよいかどうか」という問題提起にたいして、「否認の根拠への確信が真正で」「論証を重んずるかぎりは」との条件を付けて「是」と答え、そのさい「もっともラディカルな懐疑が、認識の父である」と語りました。これになぞらえれば、「ヴェーバーの人格そのものを否認する羽入を、ヴェーバー研究のサークルに受け入れるべきかいなか」という問題設定にも、おのずと答えが出るでしょう。受け入れたうえで、「否認の根拠への確信が真正」かどうか、羽入の「論証」の是非を問うべきなのです。別にマックス・ヴェーバーを偶像に祀り上げるのではなくとも、かれの人となりへの信頼は、ちょっとやそっとでは微動だにせず、むしろ羽入の「ラディカルな懐疑」によって(皮相な信頼者には自明視され、隠されているかもしれない)「新たな認識」がもたらされるならば、それだけ信頼も深まろう、くらいに泰然と構える度量がほしいところです。ヴェーバー自身のそうした学問観と照合すれば、@ないしAの理由で羽入書に「門前払いを食わせる」ヴェーバー研究者は、やはり「ヴェーバー読みのヴェーバー知らず」というほかはありません。

ところで、そういう論文が、「ヴェーバー研究者」の仲間内ないしサークル内にかぎって議論されるのではなく、公刊された一書として「言論の公共空間」に登場したとなると、話は別になります。自分たちのヴェーバー研究が、「詐欺」「犯罪」への加担ではなく、この日本社会の「言論の公共空間」で「存立に値する」「意味のある営為である所以を、分かりやすく論証し、説得的に提示しなければなりません。この基本的義務を怠るとすれば、その社会的責任は重大です。

ここで学者は、原則として羽入書の主張を真に受け、公開場裡で論評しなければなりません。そしてその論評は、上記のような羽入書の特異な主張からして、「死闘」とならざるをえません。つまり、「ヴェーバーは詐欺師である」との主張を反論によって覆し、羽入がみずからの知的誠実性において自己批判することを求め、ばあいによってはそのうえで上記「生産的限定論争」の関係に持ち込むか、それとも、反論にいたらず、あるいは反論してもこちらが破れて、「詐欺師の手先であった」と自己批判し、ばあいによってはみずから学者生命を絶つか、どちらかです。

 

§4. ヴェーバー研究者における「当事者性の自覚」と「状況認識」の問題

筆者も、一方ではヴェーバー研究者のひとりとして、ヴェーバーの学問観に原則的にしたがい(もっとも、異なった学問観からヴェーバーを研究するということも、当然ありえます)、他方では「言論の公共空間」に属する公衆の一員として、応分の社会的責任を心に留め、羽入書を一読しました。そして、「失望落胆」しました。羽入書は、批判の矛先が「倫理」論文一篇にもとどかない「ひとり相撲」で、「原典」調査も徒労に終わっており、ただ罵詈雑言と自画自賛の量と質が『ギネスブック』に載るかとも思われる代物でした。

そこで、まずはヴェーバー研究の「若手」や「中堅」に宛てた昨年の年賀状に、「羽入の告発は、たとえばフランクリンとルターとを直接つなげようという『疑似問題』を持ち込んだ『ひとり相撲』にすぎず、反論は容易」との趣旨を書き添え、「非行少年がはびこるのも、大人が正面からまともに対応しないため」と付記して、遠回しながら反論執筆を勧めました。なにも、手始めに「若手」や「中堅」を前面に押し立て、万一かれらが破れて引きあげてきたら、「大将」がおもむろに受けて立とうなどと、深謀遠慮をめぐらしたわけではありません。ただ、拙論の続篇と「『経済と社会』全体の再構成」の執筆のために時間を確保したかっただけです。ところが意外なことに、ヴェーバー研究者の圧倒的多数からは思わしい手応えがなく、態度表明ないし反論執筆の気配は窺えませんでした。

ちなみに、筆者はこのあと二回、ひとつは書評「四疑似問題でひとり相撲」(東京大学経済学会編『季刊経済学論集』第69巻第1号、2003年4月、所収)の抜き刷り、いまひとつは拙著『ヴェーバー学のすすめ』を紹介ないし贈呈して、控えめながらヴェーバー研究者に態度表明ないし反論発表を促しています。しかしいまだに、これぞという応答はありません。この点は、羽入書以上に深刻な問題と思われますので、いま少し対応を待ったうえ、稿を改めて論ずる予定です。

ただひとつ、ここでも、上述したこととの関連で、指摘しておきたいことがあります。それは、多くのヴェーバー研究者が、「自殺要求」という羽入書の特異性を見抜けず、あるいは真に受けず、「生産的限定論争」の提題と混同してしまうらしい、ということです。筆者のほうでは、「この『自殺要求』を放っておくと、どんな各個研究も存立を脅かされかねないので、各ヴェーバー研究者がそれぞれ反対を表明するなり反論を発表するなりして、ともに共通の存立基盤を確保し、そのうえで各人の各個研究を晴朗闊達に進め、ときにはお互い『生産的限定論争』も闘わそうではありませんか」と提唱しているつもりです。ところが、多くのヴェーバー研究者は、筆者がある特定の「生産的限定論争」へ向けて、自分独自の各個研究を発表しているだけなのに、その意味を過当に一般化し、僣越にも押しつけてきて、叱咤激励しようとする、なにかこの件で「踏み絵」を踏ませようとする、とでも思っているかのようです。「この件は、ヴェーバー研究者としての貴台自身の問題でもあり、当事者としての対応を求められていますよ」というメッセージが、どうもとどかないようなのです。そして、ある人は、「老人のお仕事ぶりはたいへん結構。でも、自分のほうも現職の多忙のなかで、これだけの各個研究はしていますよ」と業績をドサッと送ってくださいますし、他のある人は、「『ヴェーバー研究』として価値のない羽入書を論駁しても価値はない。『「経済と社会」全体の再構成』ないし『客観性論文』補訳の改訂というもっと大切な仕事を『お留守』にしていいのか」と逆に筆者を責めてきます。後者にたいしては、筆者としても、「そんなことは小生がいちばんよく分かっています。貴台が『三猿』を決め込み、『価値のない』仕事を自分はやらないと息巻いて、ヴェーバー研究者としての『社会的責任』を顧みないから、やむなく小生が人生の残り少ない時間を割き、『価値のない』羽入書論駁に当てざるをえないのです」と、このさいはっきりいっておきます。

いずれにせよ、ヴェーバー研究者から、なぜこれほど「当事者性の自覚」が薄れ、おそらくはそのためか、「状況感受性」したがって「状況認識」が鈍り、「社会的責任」感も低下してしまったのでしょうか。対等な相互批判を回避し、「第三者・傍観者天国」に安住し、たまに論争に出くわしても、当事者の主張内容にたいして自分自身の評価内容を詰めようとはせず、むしろ「論敵を口汚く罵る」といった、美意識にすり替えた非難でことをすませ、「人格者(君子)」面を通そうとする、そういうこの社会の学問文化風土と、これに根ざした大先達・大塚久雄の「負の遺産」(批判黙殺のスタンス)が、深く浸透してしまっているのでしょうか。

 

§5.「倫理」論文かぎりでの論駁と、「原典」に照らしての批判的検証

さて、前段のつづきに戻りますが、年賀状添え書きへの音沙汰がないのを知って、筆者も「他人任せにしておいてはいけない」と悟り、拙論の続篇と「再構成」関係の仕事はやむなく中断して、羽入書論駁の執筆に取りかかりました。

羽入書は、「倫理」論文の本論(第二章)ではなく、第一章「問題提起」から、ルターとフランクリンにかかわる箇所だけを抜き出し、しかも両者を語の外形で直線的につなげようとする架空の「パースペクティーフ(遠近法)」を持ち込み、それで著者ヴェーバーを「批判」したつもりになっていますから(つまり「ひとり相撲」をとっているだけですから)、そのかぎりで暴露/論破するのは簡単です。しかし、ルターとフランクリンの「原典」を持ち出してくる部分を、当の「原典」に照らして批判的に検証し、そのうえで反批判するには、こちらも「原典」に当たらなければならず、とくに重要なルター文献については、その取り扱いの基本から学びなおし、わずかですが二次文献も参照しなければなりませんでした。しかしその結果、羽入には、ヴェーバーばかりでなく、ルターもキリスト教全般のことも、分かっていない、ということがはっきりしました(詳しくは、拙著、第二章、とくに57, 61-3, 66, 129, 130ぺージ、参照)。

ちなみに、この件にかんするヴェーバー研究者の対応についても、筆者は、「倫理」論文一篇と照合すればできるはずの「ひとり相撲」暴露/「ヴェーバー詐欺師説」論破と、「原典」にもとづく批判的検証/反論とを、はっきり区別しています。筆者が問題とするのは、後者にまで手が回らなかったことにかんしてではなく、前者を怠っているとしか思えない点についてです。

それで、筆者も、三月末には、「倫理」論文との照合にもとづく――そのかぎりでの――論駁をまとめ、書評「四疑似問題でひとり相撲」として『季刊経済学論集』に発表しました(じっさいには5月初旬刊)。

 

§6. 論争内容と、条件づくりと

しかし、それだけでは、掲載誌の性格上、読者の範囲がかぎられますし(多分、『社会学雑誌』読者のみなさんの目には触れていないでしょう)、書評欄ではスペースに制限があるので、意を尽くせません。この「スペースの制限」という形式的公平原則は、その枠内で議論を尽くさなければならないとなりますと、いきおい、瑣末な論拠から「ヴェーバーは詐欺師である」との全称判断に短絡する、羽入書のような耳目聳動的な議論に有利となり、これに対抗しようとすると、こちらの議論も、ともすれば「相手に似せておのれをつくり」、大雑把となりかねません。そこで、羽入の瑣末な論拠を逐一微細に反論するに足るスペースを確保し、「原典にもとづく批判的検証も加味した、やや長篇の論駁稿をしたため、ストレートに「マックス・ヴェーバーは詐欺師ではない――羽入書論駁」と題し、まずは人文・社会諸科学に広く読者をもつ雑誌から始めて、公刊してくれる出版社を探しました。

ところが、この日本という社会の出版業界も、学界の体質に対応してか、論争を重んじ論争に即応して出版を企画する態勢はとっていません。ましてや厳しい学術書出版不況のさなかとあっては、「ヴェーバーは詐欺師かいなか」といった「ヴェーバー業界内部」の「コップのなかの嵐」(じつは、そうではないのですが、この点については次節§7で詳論します)には、なかなか取り合ってくれません。あるいは、ことが大きくなると、羽入論文や羽入書を採り上げた編集責任を問われる、との予感がはたらいたのかもしれません。

いずれにせよ、日本というこの社会では、学問上の論争に徹しようとすると、内容だけではなく、論争の条件づくりにも苦労する、という現実に直面しました。とすると、「若手」のヴェーバー研究者が反論を発表しなかったのも、こういう外的制約のためで、無理もなかったのかもしれません。もしそうでしたら、「若手」研究者にたいする前述の批判は、失当で過酷であったと反省し、お詫びします。いまでは幸い、このコーナーが開設されていますから、「若手」も「中堅」も、ぜひ寄稿されるよう、筆者からも要望します。

筆者のばあい、けっきょくは未來社が出版を引き受けてくれましたが、「『ヴェーバーは詐欺師ではない』という表題では、狭隘かつ消極的にすぎるので、むしろ読者に、『倫理』論文ほかのヴェーバー著作をみずから読んでみようという意欲を喚起できるように、表題を改め、筆者の『倫理』解釈の基本構想と学問観にかかわる持説とを積極的に打ち出してほしい」という要望があり、これは喜んで受けて、急遽第一章を執筆し、『ヴェーバー学のすすめ』と題する単行本にまとめました(2003年11月刊)。

ともかくも、羽入書刊行後、約一年とちょっとのところで公刊にこぎつけられて、ほっとしました。

 

§7. 羽入書におけるヴェーバー断罪の一例――このやり方が広まると、どうなるか

さてここで、羽入書におけるヴェーバー断罪の一具体例をとりあげ、ことがたんにヴェーバー研究かぎりではなく、いかなる領域の学問研究にとっても由々しい問題であることを詳らかにして、警鐘を鳴らしたいと思います。

羽入書第一章は「"calling" 概念をめぐる資料操作――英訳聖書を見ていたのか」と題され、「倫理」論文中の、ひとつの注の末尾(梶山力訳/安藤英治編『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の《精神》』、第二刷、1998年、未来社、以下「倫理」、145ぺージ)を取り出して「問題」としています。そこでヴェーバーは、16世紀後半の英訳諸聖書につき、ルター訳の直後16世紀後半)影響に一瞥を投じているのですが、羽入が「問題」とするのは、その箇所でヴェーバーが、@『ベン・シラの知恵』(以下『ベン・シラ』)の英訳を調べず、A『コリントの信徒への手紙一』(以下『コリントT』)720節の英訳を概観している事実です。羽入は、@につき、ヴェーバーがじっさいには『ベン・シラ』当該句の英訳を調べ、「労働ergon」と「職務ponos」がBeruf相当語のcallingに訳されていない事実を知っていながら、その(羽入によれば「ヴェーバーにとって不都合な」)事実を「隠蔽」するため、Aで(羽入によれば「無関係な」)『コリントT』を持ち出し、これに「すり替え」てお茶を濁した、と主張しようとしました(羽入はじっさいには、@の推定は立証できないと悟り、羽入書本文では「英訳聖書の原典に当たらず杜撰」との非難にトーンダウンしていますが、ここでもヴェーバーを「詐欺罪」に陥れようとしたかれの意図は、文章の改訂/推敲に漏れて残されている文言から確実に推認できます)。

さて、羽入のこの主張が成り立つためには、ルターによる聖句翻訳の影響がもっぱらベンシラを経由して他の諸聖典(したがって英訳諸聖典)にも波及したとの「『ベン・シラ』回路説」を前提とし、しかもそのうえ、ヴェーバー自身も同一の前提のうえに立っていたと仮定しなければなりません。ところが、その前提も仮定も成り立ちません。

キリスト教の諸宗派は、新約と旧約、正典と外典とで、それぞれ聖書としての位置づけと取り扱いを異にし、旧約外典を(少なくとも相対的には)軽んじていました。その旧約外典のひとつ『ベン・シラ』の当該句は、なるほどルター本人ないしルター派にかぎっては、「神与の使命」と「世俗的職業」との二義を併せ持つBerufの創始点として、相応の歴史的意義を帯びました。しかし、羽入が抜き出した上記「問題」の箇所におけるように、視野をルター本人ないしルター派に限定せず、広くイギリスの諸宗派を概観するとなれば、「世俗的職業」を「神与の使命」として尊重する宗教改革の思想が、もっぱら旧約外典のベンシラ句を結節点として各派に波及した、と見ることはできません。また、旧約外典の『ベン・シラ』句を、広く当の思想の空間的/時間的波及度――しかも、聖典における訳語選択への表出度という「波及度」の一面――を比較し測定するのに適した、定点観測の準拠標に見立てることもできないでしょう。まともな歴史家ないし歴史的センスをそなえた社会科学者であれば、キリスト教の多様な歴史的展開を無視して、そうした非歴史的非現実的想定を持ち込むとは、まず考えられません。

ヴェーバーももとより、そうした前提のうえに立ってはいません。かれが「倫理」論文第一章「問題提起」第三節「ルターの職業観」の冒頭で『ベン・シラ』句を取り上げたのは、当該句を原点ないし(諸外国語版聖書についてはそれぞれの)起点として、語Berufとその思想が、広くプロテスタンティズムの宗派とくにイギリスのピューリタニズムにも波及した、と見たからではありません。ヴェーバーは、ルターの宗教改革事業総体に、「救済追求」の「軌道」を修道院から「世俗」に「転轍」したという(ヴェーバー固有の「価値関係的パースペクティーフ」からみて)積極的な(歴史的)意義と、当の「世俗内救済追求」における「伝統主義への推転(「世俗内」「合理的禁欲」からの逸脱、「合理的禁欲」への発展の頓挫)という消極的な意義とを認め、伝統主義的な『ベン・シラ』の、伝統主義的な聖句の翻訳における語Berufの創始を、このふたつの意義の結合を端的に表示する事実と見ました。まさにそれゆえ、ルターの敷設した世俗内救済軌道を引き継ぎそのうえで「合理的禁欲」への転轍をなしとげる禁欲的プロテスタンティズム(とくにカルヴィニズム)をこそ、本論(第二章)で主題として分析するのに先立ちルターの宗教改革事業総体の意義と限界を論じて叙述を本論に橋渡しする「問題提起」章最後尾の「ルターの職業観」節では――そうした位置価をそなえた当該節にかぎっては――、『ベン・シラ』句を冒頭で取り上げるのが相応と見たにちがいありません。

したがってヴェーバーは、『ベン・シラ』におけるBeruf創始についても、なにかそれだけを切り離して絶対化することなく、そこにいたる経緯、とくに翻訳者ルターにおける伝統主義への思想変化と関連づけ、歴史的に相対化して取り扱っています。すなわち、ルターは、新約正典の独訳を完成した1522年には、原文では「終末論的現世無関心」に彩られたパウロ/ペテロ書簡の勧告(「各自、主の再臨まで、あとほんのしばらく、現世におけるあり方に思い煩うことなく、使徒の宣布する福音を介して神に召し出された、その召しの状態に止まっていなさい」)にかんして、当の「召しの状態」を表すklēsisを、『コリントT』1章26節、720節ではruff、『エフェソの信徒への手紙』ほか三書簡の七箇所ではberuffと訳し(拙著、129ぺージ)、翌1523年の『コリントT7章の講解(釈義)では、20節のklēsisberuffと訳出していました(拙著、78ぺージ)。ところがルターは、1524/25年の「農民叛乱」以降、とみに「伝統主義」に傾き、1533年に『ベン・シラ』を独訳したときには、『コリントT7章20節「おのおの召されたときの身分にとどまっていなさい」の――聖典の性格とコンテクストからすでに「生活上のさまざまな地位身分statūs, Stände」の意味に解されていた――klēsisを、(宗教思想上の根拠づけは異なるけれども)事柄としてはすでによく似ている『ベン・シラ』句(「おのおの――伝統的秩序のなかで指定された――職務にとどまっていなさい」)の「職務」に重ね合わせ五書簡beruffの「聖職への召し」という適用制限を解除して、『ベン・シラ』のergonponosすなわち「世俗的職業」一般にも適用しました。語Berufberuff)を軸として語義の歴史的変遷を要約しますと、初期五書簡の終末論的「召しの状態」が、後期には『コリントT7章20節前後の「身分」を「架橋句」として、ルタールター派では『ベン・シラ』の伝統的職業」に重ねられ、この「職業」が「神与の使命の意味も帯びたのです。

他方、ヴェーバーは、羽入が問題とした箇所の直前で、つぎのように述べています。すなわち、「カルヴィニストは旧約外典を聖典外のものと考えていた。かれらがルターの職業の観念を承認し、これを強調するにいたったのは、いわゆる『確かさ』(確証−編者)の問題が重要視されるにいたったあの発展の結果としてであった。かれらの最初の(ロマン語系の)翻訳では、この観念を示すは用いられず、かつまた既に定型化(stereotypiert)されていた国語中にこれを慣用語とすることは出来なかった」(「倫理」、144〜5ぺージ、強調体は原文)。つまり、ルターの敷設した「世俗内救済追求」の軌道上で、「伝統主義」から「合理的禁欲」への転轍をなしとげ、したがってヴェーバーの「価値関係的パースペクティーフ」から見てもっとも重要なカルヴィニズムは、@旧約外典の『ベン・シラ』を聖典とは認めず、軽んじていたし、Aルターの職業観念でさえ、これを承認して重視するのは、後代――「自分が神に選ばれた『恩恵の身分』に属することを、どうしたら『確証』できるのか」という(自分が選ばれていることを確信していた)カルヴァン自身(1509〜64)にはなかった問題が、カルヴィニズムの「大衆宗教性」において切実に問われ始める時期――のことで、これについては、「ウェストミンスター信仰告白」(1647年)を与件とする本論の分析で採り上げるので、ここで論及する必要はない、というのです。他方、Bカルヴァンやベザの常用語で、ユグノーの日用語でもあったフランス語は、言語としてのステロ化が進んでいて、少数派としてのカルヴィニストの要求は(かりにあったとしても)受け付けるはずがなく、『ベン・シラ』の当該箇所もofficeとlabeurのままで(「倫理」、138ページ)、ましてや、当の『ベン・シラ』の当時16世紀後半の英訳も同様にちがいなく、わざわざ「原典」に当たって調べるまでもない、それよりもいっそ、ルターにおけるBeruf創始のさいにも「架橋句」の役割を演じたにちがいなく、かつまた新約正典としていずれの宗派にも重んじられた『コリントT7章であれば、その20節klēsis訳語を宗派について概観することには、まだしも意味があろう、というわけです。つまり、著者ヴェーバーは、羽入が「問題」とした箇所の直前で、「なぜそこでは、『ベン・シラ』を採り上げそれに代えて『コリントT7章20節について調べるのか」、その理由を、前後のコンテクストおよび「『倫理』論文の論証構造」(これについては、拙稿「ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理』論文の全論証構造」、『未来』、近刊3月号所収、をご参照ください)との整合性において、まっとうな文献読解力と論理的思考力をそなえた読者には誤解の余地がないほど明快に説いているのです。

ただ羽入だけが、「『倫理』論文の論証構造」を捉えていないうえ、直前の文言もコンテクストも読み落としたか、読んでいてもその趣旨を汲み取れなかったか、どちらかで、直後の一節を、上記の非歴史的非現実的想定のうえに、自分の『ベン.シラ』回路説」のコンテクストに組み入れ、著者ヴェーバーの「詐欺」(あるいは少なくとも「杜撰」)の「証拠」に仕立ててしまうのです。そのように、羽入こそ杜撰なのですが、「知らぬが仏」で「怖いもの知らず」というべきか、自分の思い違いを著者ヴェーバーにぶつけて断罪し、「鬼の首でもとったかのように」得意になり、「世界的な発見」と称して自画自賛します。

ところで、そういう羽入書だけを「倫理論文と照合せずに読む人は、相撲にたとえれば「相手を見てはいない」わけですから、「どんな手でも使って見せられる『ひとり相撲』」を、「相手を見事に手玉にとっている『本物の相撲』」であるかのように見誤り、本気で羽入の「ひとり相撲」に軍配を上げます。「判官贔屓」の観衆も、拍手喝采して「座布団が跳ぶ」でしょう。あるいは、その昔「倫理」論文をひもといたけれども、(初見では当然のことながら)どうもよく分からず、そのあと根気よく再読三読して理解しようとせずに、かえって怨念を抱いてしまった人がいるとすると、いまもって不得要領のままでしょうから、「羽入書だけを『倫理』論文と照合せずに読む」のと同じことになり、「本気で羽入の『ひとり相撲』に軍配を上げ」、同時に「ああ、やはりそうだったのか」「詐欺だったのなら、分からない自分たちのほうが正しく、正直だったわけだ」とばかり、「積年の恨みを晴らし」「溜飲を下げる」にちがいありません。

とはいえ、もし万一、羽入のそうした論法が不問に付され、黙認され、許容され、あるいは逆に、(検証を欠く)「観衆」や「怨念を抱いた識者」によって称賛され、奨励されていくとすれば、「倫理のみならずどんな論文でも、「詐欺」ないし「杜撰」と決めつけられ、葬り去られかねません。しかも羽入は、たんにここでだけ「心ならずも錯誤を犯した」というのではなく、こうした論法で相手を葬るためには、論理を「万力」に、文献学を「拷問具」に使い、相手の釈明が面倒に思えたら「裁判長に却下を申請する」とまで公言してはばからないのです。じっさい、他の三章でも、この第一章に輪をかけて凄まじい、牽強付会としかいいようのない断罪をくわだて、強行しています。すなわち、「価値関係性」と「(理論上の)合目的性」に準拠して厳格に制御され、緻密に構成された「倫理」論文テクストのほんの数箇所――それも、著者の「関心の焦点」ではなく、「射程には入る周辺部」の注記――を恣意的に抜き取ってきて、羽入自身の非歴史的・非現実的想定にもとづく「犯行現場」のコンテクストに移し入れ、「杜撰」「詐術」「詐欺」の「証拠」に意味変換してしまうのです。

筆者は、こういう断罪にたいしては、断固ヴェーバーを「弁護」します。しかし、そうするのはなにか、ヴェーバーの「権威」、いわんや「ヴェーバー産業の既得権」を守ろうとするからではありません(この点、拙著でも再三強調しています)。羽入の一見緻密な――じつは上記のとおり粗野で強引な――論鋒を、先の先まで追跡し、微細な争点にいたるまでヴェーバーの叙述と照合して批判的に検証しますと、羽入書を貫く、上記のように危険な反理性性反学問性があらわとなります。これを筆者は、たんにヴェーバー研究上の一問題(一新説の当否問題、「生産的限定論争」の一提題)と捉えて議論するだけではすまされず、その域を越える学問研究一般への脅威、あるいはさらに、たとえば裁判における人権保障規定を平然と踏みにじる恣意強行の予兆と見て、警鐘を鳴らさざるをえません。

この件を「ヴェーバー業界」内部の「コップのなかの嵐」と見て、「内外野スタンドで観戦」を楽しもうという方々も、そこから出発してくださって結構ですから、そのうえはどうか、この「羽入−折原論争」の中身に踏み込み、双方の見解を対置して当否を判定し、筆者の警鐘を聴き取るまでに、好奇心を旺盛にはたらかせてください。望むらくはそこから、それぞれの専門領域ないし隣接領域に、同質の問題的傾向が顕れていないかどうか、点検/自己点検してくださるように、お願いします。

というのも、このまま安穏としていますと、日本というこの社会における批判的理性の頽廃腐朽は、とりかえしのつかない「破局」に陥っても「第三者・傍観者天国」にひたって「目が覚めない」ところまでいきかねないからです。筆者が殊更ヴェーバー研究者の対応と責任を問うのも、かれらが「ヴェーバー産業」の「既得利害関係者」だからではなく、当該専門領域に顕れる動向について批判的検証をなしうる専門的力量をそなえ、危険な萌芽を見つけたらいちはやく論証し、専門外に向けて警鐘を乱打する専門外の他の研究者には転嫁できない固有の責任/社会的責任を負っていると考えるからにほかなりません。この責任問題については、後段§10でも再度とりあげ、敷衍します。

 

§8. 抽象的情熱あるいは偶像破壊衝動の問題――内在批判から外在考察への旋回点で

しかしなお、つぎのような疑問が投げかけられるかもしれません。すなわち、羽入がヴェーバーを「詐欺師」「犯罪者」に仕立てるやり方は、なるほど恣意的かつ強引で、学問上容認できず、他領域に波及したら大変ではあるけれども、そもそもそういう羽入流の「研究」自体、なにかきわめて特異で、羽入個人、あるいはせいぜい「ヴェーバー業界」のみの出来事ではないのか、と。だいいち表題からしても、『マルクスの犯罪』『カール・シュミットの犯罪』とでもいうのなら、(本質上はそれらも問題にはちがいないとしても)政治上の敵対関係からは、あっても不思議はないと思えるけれども、『マックス・ヴェーバーの犯罪』というのは、すでにそれだけからして、なにか異様ではないか、と。

確かに、羽入書に示されている羽入流の「研究」は、一風変わっています。すなわち、羽入自身の特定の研究テーマが、出発点に据えられ、それとの関連で――羽入の「価値関係的パースペクティーフ」において――特定のヴェーバー学説がとり上げられ、ゆえあって批判も加えられる、というのではありません。そうであれば、「生産的限定論争」になるはずです。そうではなくて、むしろヴェーバーを「人文/社会科学界における『知的誠実性』の『巨匠』ないし『第一人者』」と認めまさにそれゆえそのヴェーバーを「知的誠実性」に悖る「詐欺師」「犯罪者」として打倒すること――そのこと自体――に、情熱が傾けられ、執念が燃やされています。「なんのために」との内省も、独自の内容も欠くこの特異な抽象的情熱が、羽入書には横溢し、なんの躊躇いも自己抑制もなく、罵詈雑言と自画自賛となって迸出され、読者の耳目をそばだたせてやみません。あるいは、「偶像崇拝」の裏返しとしての、偶像崇拝と同位対立の関係にある「偶像破壊の衝動が、羽入流の「研究」を駆動し、鼓舞している、といいかえてもいいでしょう。そのため、羽入には、ヴェーバー研究者がすべて「聖マックス崇拝者」としか映らないのです。これらの点は、けっして筆者の「当て推量」ではなく、拙著で、羽入書をドキュメントとして立証しています。

こうして問題は、羽入流「研究」のライトモチーフをなすかにみえる、この抽象的情熱ないし「偶像破壊」の衝動が、いったいどこからくるのか、という「動機形成事情の探究」に移されます。問題は、そうしたモチーフが、「ヴェーバー業界」の特殊事情に由来するのか、それとも、現代大衆教育社会における構造的諸要因のなんらかの布置連関から派生し、研究者ないし研究者志望の高学歴階層に多少とも共有され、したがって「ヴェーバー業界」以外の他の研究領域(あるいはさらに、他の社会諸領域)にも広く出来しうる現象なのか、とはいえ、それがいちはやくヴェーバー研究という一領域に顕れたのはなぜか、というふうに設定/再設定され、相応の「外在考察」が要請されましょう。

筆者は、羽入書を、一ヴェーバー研究者として内在的に批判すると同時に、一社会学徒としては、その客観的「意味」理解/解釈から、主観的「動機」解明に溯行し、当の「動機形成」の構造的背景を探る、理解社会学的知識社会学的外在考察にも踏み込み、上記の問題設定にたいして一定の明証的・仮説的解答は用意しています。その結論は、かの抽象的情熱ないし「偶像破壊」の衝動は、「ヴェーバー業界」の特殊事情には還元されず、現代大衆教育社会の一般的構造的背景に由来しているけれども、それがいちはやく「ヴェーバー業界」に顕れてきたことについては、当該「業界」固有の媒介要因を措定して説明できる、というものです。

ただ、論争が「第二ラウンド」を迎えただけで、なお内在批判に徹すべきこの段階で、不用意に外在考察を交えることは、論点を拡散させ、内在性への徹底を損ねるおそれがありますから、ここでは暫定的結論の開陳は控えます。ただし、この外在考察の観点からみても、ことはけっしてヴェーバー研究かぎりの問題ではなく、それだけその深刻さへの憂慮がつのる、とだけは、ここでもお伝えしておきたいと思います。

 

§9. 羽入書の「山本七平賞」受賞――原則問題として考えよう

あたかもその(外在考察から導かれる)不吉な予感が的中するかのように、拙著刊行の直前、羽入書が「山本七平賞」を受けるという事件が起きました。

「賞」ばやりの昨今、学会さえ「賞」を設けるようになって、羽入は以前、日本倫理学会の「和辻哲郎賞」を受けてもいるそうです。この日本社会では、他人の慶事への批判は「タブー」にひとしく、嫌がられること必定ですが、こうなってきますと、「賞」という問題につき、いったん立ち止まって原則的に考えてみなければなりません。

この問題について論ずるとなると、筆者の世代にはただちに、「作家は作品で勝負する」といってノーベル文学賞を辞退したジャン・ポール・サルトルの鮮やかな選択が、思い出されます。この態度決定を学問の領域に移してみますと、「学者は論文で勝負する」という原則が立てられるでしょう。

とはいえ、その原則を純粋に貫き、およそいかなる外面的表彰もしりぞけるという選択肢をとれるかどうか、とるべきかいなか、となると、議論が分かれるところでしょう。現に、学生時代サルトルに私淑し、「サルトルの心理学」で卒業論文を書いた大江健三郎も、ノーベル文学賞を受けています。ただ、そのばあいにも、原則を無原則に緩めることはできず、たとえば「サルトルのように国際的に著名な作家は別として、『作品で勝負する』と気負っても、当の作品を手にとって読んでもらえないのでは勝負にならないから、そうした条件づくりの政治的行為として受賞する」というような、なにかはっきりした意味づけ・意味限定が必要でしょう。いずれにせよ、「作品」の中身にたいする文学上の評価、学者であれば、「論文」の中身にたいする学問上の評価、これをめぐる学問的討論が、優先されなければなりません。ノーベル賞に権威があるとすれば、それは、そうした原則にもとづく手続きを厳格に踏んでいるからでしょう。

とすると、学問上の「賞」の選考過程では、討論/評価にあたり、選考者が候補作「論文」の専門領域に通じていないばあいには、素人の判断だけでことを決めようとせず、当該領域の専門家による鑑定・評価を、少なくとも参照し、望むらくは尊重しなければならないはずです。

ところが、今回の「山本七平賞」についていえば、まず羽入自身は、一専門家としての筆者の書評「四疑似問題でひとり相撲」に学問的に応答しないまま、「賞」を受けました。拙著にたいしても、2004年2月7日現在、応答がありません。他方、選考委員(加藤寛、竹内靖雄、中西輝政、山折哲雄、養老孟司、江口克彦)も、事前に(昨年5月には『季刊経済学論集』の書評欄に)公表されていた筆者の論評を参照しないまま、選考を進めたとしか考えられません。

なるほど、専門家の鑑定といっても絶対ではなく、素人の評価のほうがかえって的確/公正であることも、ないわけではないでしょう。ところが、今回の「山本七平賞」のばあい、『Voice』誌一月号に収録されている各選考委員の寸評を読みますと、内容のお粗末さに唖然とします。いずれも、ヴェーバー研究の実情に疎いばかりか、羽入の大言壮語を鵜呑みにして歯の浮くような賛辞を連ね(じつは、「虚像」を押しつけて「真綿で首を絞め」)、年長者/学問上の先達として「窘めるべきは窘める」責任も忘れ、「推理小説」のように読み耽って面白がり、……要するに、素人「識者」の「無責任ここに極まれり」というほかない風情です。羽入書を「倫理」論文と照合していないため、「どんな手でも使って見せられる『ひとり相撲』」を、「相手を見事に手玉にとっている『本物の相撲』」と見誤って、「本気で『ひとり相撲』に軍配を上げ」、拍手喝采しているわけです。

六人の選考委員のうち、山折哲雄は、かつてヴェーバーの「ヒンドゥー教と仏教」第三章を(訳者のひとりとして)邦訳しており(『アジア宗教の基本的性格』、1979年、勁草書房刊)、ある意味で専門家、あるいは半専門家といえるかもしれません。しかし、もしそうだとして、羽入書の主張を認めたとなると、「自分も詐欺師の作品を翻訳して片棒を担いでいた」と自己批判しなければならないはずです。ところが山折は、羽入書を、六人の選考委員のうちでも無条件に絶賛しながら、ご自分の訳業には触れず、羽入書が「ヴェーバーかぶれ、ヴェーバー信者たちの魂を震撼させるであろう」と、「第三者」風に、ただなにか「溜飲を下げる」かのように語ります。自分の仕事にも発言にも、責任を感じない人なのでしょう。

さて、寸評一々の内容および羽入の「受賞者の言葉」にたいしては、雀部幸隆が間然するところのない批判を展開していますので、ぜひ参照なさってください(「学者の良心と学問の作法について――羽入辰郎著『マックス・ヴェーバーの犯罪』の山本七平賞受賞に想う」、『図書新聞』、2月14日/21日号、所収)。筆者は、雀部の批判に、なにも付け加える必要を感じません。ただ、雀部による批判の営為には、つぎのような意味を読み取ることができると思います。

 

§10. 現代大衆社会における虚像形成――非専門家の無責任と専門家の無責任との相乗効果

オルテガ・イ・ガセの『大衆の蜂起』(1930年刊)といえば、「大衆社会論」の先駆けをなし、哲学的・人間学的な「大衆人Massenmensch」批判の射程にかけては後の社会学的「大衆社会論」を凌駕している古典です。そこでかれは、一見意外にも、専門科学者を「野蛮な大衆人」の一部類に数え、当の「野蛮」の根拠を、要旨つぎの点に求めています。すなわち、「かれらには、自分は狭隘な専門領域である程度の実績をあげたにすぎないとの自覚(自己限定性の自覚、まさにそれゆえその限界を越えようとするスタンス)がなく、なにか無限定の『権威』/『大立者』/『大御所』に収まったかのように錯覚して、自分では皆目分からない、あるいは一知半解の別領域についても、その道の専門家の意見をきかず、あたかも自分がそこでも『権威』であるかのように傲慢不遜に振る舞う」というのです(Cf. Ortega y Gasset, José, Der Aufstand der Massen, Gesammelte Werke, Bd. 3, 1956, Stutt- gart, S. 90-1. 邦訳各種)。

としますと、羽入の「山本七平賞」受賞にいたる経過は、そうした非専門家「権威」者の無責任と、かれらから無視されても専門家として責任ある異議申し立てをしない専門家の無責任とが、いわば相乗的に作用して、「倫理」論文一篇すらまともに読めずに著者を「詐欺師」「犯罪者」と決めつける「ひとり相撲」作品を、「押しも押されもしない巨人伝説を一挙に突き崩す鮮やかな仕事」(山折哲雄)に祀り上げた虚像形成の過程として、捉え返されましょう。あるいは、「大衆人」非専門家の「権威」と「大衆人」専門家の無責任とが相乗効果をひき起こし、羽入にかんする虚像が雪だるま式に膨れ上がって、羽入を「自分の虚像を追いかけて生きる不幸な人生の道」に追い込み、知的誠実性に生きる道――ヴェーバーの知的誠実性を問うたかれが、こんどはかれ自身の知的誠実性を賭けて拙評/拙著の学問的反論に応答し、知的誠実性をそなえた一学究として立ちなおり、捲土重来を期する道――をそれだけ遮ってしまった、といいかえていいかもしれません。

ところで、現代大衆社会においては、一方ではマス・メディアの影響力増大によって「大衆人」非専門家の空疎な権威」も増幅され、他方では「専門化」がますます進展し、専門家が各「たこつぼ」に閉じ籠もって発言回避の社会的無責任をつのらせていけば、この種の虚像形成はいとも容易になり、不況にあえぐ出版業界の販売戦略(「若き知性アイドル」の造成/乱舞作戦)とも呼応し、頻発して猛威を揮うようにもなりかねません。そうなれば、羽入が(かれのばあいは半ば自業自得で)陥れられたような、「自分の虚像を追いかけて生きる不幸」も、それだけ頻発するでしょうし、関連専門領域もその煽りをくって始終混乱に陥れられる、と予想されましょう。

雀部の営為は、「専門家が非専門家『権威』者を正面から批判する」という、内容上は容易でも、容易なだけにかえって躊躇われ、社会的には(空疎でも強力な)「権威」に抗う困難な闘いです。しかしそれは、現代大衆社会の上記の陥穽を見据え、虚像の一人歩きをくい止め絶えず実像に就く生き方を奪回していくのに、避けて通れない課題であり、各領域の専門家に固有の(上記の動向に照らしてますます重くなる)責任社会的責任の履行であるといえましょう。専門家には今後、こういう形で責任をとることがますます求められるでしょうし、専門家もそれに、いっそう進んで応えていかなければならないと思います。

 

§11. 虚像形成にかかわるさまざまな責任

ここで翻って、羽入にかかわる虚像形成過程を振りかえりますと、さまざまな専門家/半専門家の介在が検出されましょう。羽入に「和辻哲郎賞」を与えた日本倫理学会の選者の査読選考責任、それ以前に、かれに修士や博士の学位を授けた指導教官の研究指導責任と論文審査教官(そのなかには、「ヴェーバー研究の専門家」がひとりは加わっていたはずです)の査読責任、かれの論文を受理掲載した『ヨーロッパ社会学論叢Archives européennes de sociologie』、『社会学雑誌Zeitschrift für Soziologie』および『思想』誌の編集査読責任、かれの著書を版元のミネルヴァ書房にとりついだ越智武臣の推薦責任、際物に気づかず、あるいはうすうす際物と感得しても、まさにそれゆえ「学界に一石を投じ、売らんかな」の構えで出版に踏み切ったミネルヴァ書房の編集出版責任などが、つぎつぎに明るみに出てくるでしょう。これらの衝に当たった人々が、羽入にたいしてそれぞれ事前にひとこと「学問として、こんなことではだめだ」と責任をもって諭していれば、かれとしても(もともとはかれ自身が望んだことだとしても)これほどの虚像形成に巻き込まれ、これほどの「窮地」に追い込まれずにすんだはずなのです。

上記の責任のうち、ⓔⓕ欧州社会学二誌の編集/査読責任についてだけ補足しますと、日本というこの社会の学界は、長らく欧米学界への依存関係に馴染んできたので、ある論文が「欧米のレフェリー付き学術専門誌に受理され、審査をパスした」というだけで、ただちに(自分でその論文を読んで批判的に検証することなしに)「内容として優れている」と速断する傾向があり、この旧弊からなお脱却していません(羽入の虚像形成過程でも、例の「奥方」が欧米誌への発表を唆し、この旧弊につけ込んだふしがあります)。しかし、そうした外的規準が非専門家にはひとつの相対的な目安になるとしても、専門家は、まず自分で精読して評価を固め、これにもとづいて欧米誌の判定を判定し、欧米誌の査読水準を査定していかなければなりません。筆者は、羽入論文を掲載した二誌は、(少なくともヴェーバー研究にかんするかぎり)欧州の二流誌で、ほかならぬ羽入論文の採択により、専門誌としての査読水準を露呈したと考えています。

そういうわけで、この「山本七平賞」事件にかんしても、そこにいたる経過についてみても、そこで問われるべき責任、そこに介在している虚像形成の諸要因を解き明かしていくと、この日本社会で学問性に徹して生き抜くには、論壇/学界/学会/大学/出版社のなかの無責任な権威や勢力にたいして原則的学問的な批判を絶やすわけにはいかない、現代大衆社会の軽佻浮薄な「風潮に抗する」「対抗力」の拠点から、絶えず批判的理性をかざして出撃しなければならない、という現実が、あらわとなってきました。

 

§12. 検証回避は考古学界だけか

さて、上に挙げた責任を負う人々は、羽入書の主張内容をみずから学問的に検証することなく、一専門家としての筆者の反論(鑑定)も顧みず、「山本七平賞」の選考委員にいたっては、とっくに乗り越えられている(大塚久雄も抜け出しかけていた)「近代主義」的「倫理」解釈のうろ覚えの知識と非専門家の「直観」で判断して、羽入書の権威づけと普及に、それぞれ一役を買っていたことになります。

としますと、そうした検証回避と権威づけ/普及への加担という二点は、じつは、東北旧石器文化研究所副理事長藤村新一による遺物発掘捏造事件のあと、考古学界が事後の調査にもとづく反省点として一致して認めた問題(研究者のエートスにかかわる問題)にほかなりません。じっさい、ほぼ同時期に起きたふたつの事件は、両当事者が(藤村は意図して、羽入は意図しなくとも事実上)学問的に疑わしい手段を採用して虚説を立て、耳目聳動的に学界の「定説」「定評」を覆し、一躍脚光を浴びて学界の「寵児」「チャンピオン」に祀り上げられた――あるいは、祀り上げられそうになった――事件として、一脈通じる特徴をそなえています。また、考古学界がなぜ捏造に翻弄されたのかについても、日本考古学協会の会長甘粕健は、2002年5月26日の総会で「声明」を発表し、「一部の研究者からの正鵠を射るところの多い批判がなされていたにもかかわらず、論争を深めることができず、学界の相互批判を通じて捏造を明らかにするチャンスを逸した……、自由闊達で、徹底した論争の場を形成することができなかった日本考古学協会の責任も大きい」(傍点−引用者)と述懐しています。

とすれば、ここで、「問題ははたして考古学界だけか」との疑問が頭を擡げざるをえません。隣接(人文/社会科学)領域の研究者は、藤村事件を「対岸の火災」、羽入事件を「近隣のぼや」くらいに受け流して「自然鎮火」を待っていていいのでしょうか。むしろ、「触らぬ神に祟りなし」「臭いものには蓋」「ものいえば唇寒し」「沈黙は金」といった諺に象徴される同一の学問文化風土のもとで、検証/相互批判/論争の回避という同一のスタンスを保ちながら、考古学界のように(ジャーナリズムに捏造を暴露されて)「破局」に直面させられないだけ、反省/自己批判の機会もなく、それだけ「遅れをとり」「救いがたい」ともいえるのではないでしょうか。

こうして、問題はまたもや、ヴェーバー研究者としての内在批判の域を越え、むしろ一社会学徒として「社会学的想像力」をはたらかせ、二事件を同時期の二現象として関連づけ、類例として比較し、背後にある構造連関を問う「外在考察」に視座を転ずべき、旋回点にさしかかったことになります。

 

小括

そういうわけで、一昨年末、「社会学の生成――T.」を脱稿して以来、思いがけない状況に直面し、予想していなかった方向に問題が広がってきました。そこで、拙著『ヴェーバー学のすすめ』以外にも、主としてヴェーバー研究者の対応を問題とする「学者の品位と責任――『歴史における個人の役割』再考」を発表し(『未来』1月号、このコーナーに転載)、対羽入論争の「第二ラウンド」に向けて争点を「倫理」論文全体に拡大する「ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理』論文の全論証構造」を脱稿し(『未来』3月号、掲載予定)、現在、二論考「虚説定立と検証回避は考古学界だけか――『藤村事件』と『羽入事件』にかんする状況論的、半ば知識社会学的な一問題提起」および「大学院教育の実態と責任」の執筆にとりかかっています。

筆者は基本的に、原則論を状況論に優先させる立場に立ちますが、ここまできますと、状況の問題をひとつひとつ原則的に採り上げて論じざるをえません。こうした問題をひとつひとつクリアしていくことが、「マックス・ヴェーバーにおける社会学の生成」論考や「『経済と社会』全体の再構成」に立ち帰って続篇を執筆するための、あるいは、この現代大衆社会で広く学問研究一般を晴朗闊達に進めるための原則的な要件回復の闘いでもあることを、ご理解いただければ幸いです。

今後は、(視野狭窄の羽入書に内在して論駁するため、即応して視野を狭めざるをえなかった)拙著第一弾『ヴェーバー学のすすめ』の(そうした)制約を乗り越え、⑴「倫理」論文の原問題設定、⑵思想的/理論的背景、⑶全論証構造、⑷「倫理」以降の展開(とりわけ「世界宗教の経済倫理」シリーズおよび『経済と社会』草稿)との関係などを、いっそう詳細かつ具体的に論じて初版百周年を記念する拙著第二弾『ヴェーバー的問題提起の射程――「プロテスタンティズムの倫理」論文初版百周年記念』を、なるべく早く仕上げて公刊のうえ、真っ先に拙論「社会学の生成」続篇に戻ることをお約束して、お詫びに代えます。(2004年1月23日第一次稿、2月7日改訂稿、脱稿)